【神社】神奈川県横浜市保土ヶ谷区『橘樹神社』<祇園信仰><牛頭天皇><神田不動尊>

<橘樹神社の基本データ>

御祭神:素戔嗚尊(スサノオノミコト)

ご利益:
御神性勇武に坐します故の御名で疫病祓除に霊験あらたかな神である

御朱印:有

塩:なし

土:なし

水:なし

駐車場:有

住所:横浜市保土ヶ谷区天王町1-8-12

電話番号:045-331-0136

橘樹神社について

橘樹神社の本殿

当神社は、文治二年(1186年 約835年前)源頼朝公天下の平和を賀して国中の大小の神祇に奉幣し祭祀の典を行った時の創建と伝えられる。
即ち京都の祇園社(現在の八坂神社)の御分霊を勧請奉祀した。
故に当社も祇園社 牛頭天王社 天王宮 橘樹社等 社名が変わり大正十年正式に現在の社名となった

『橘樹神社由緒略記』より引用

中は撮影できませんが、覗きこんだ時に木の良い香りがしました。

対になった狛犬。
対になったご神木。
対になった石柱。

本殿までに見えない道があるかのように、スカーッと爽快感のある境内です。

商店街の中にあり、訪れたのは平日の昼間でしたが、私の前に何人かの参拝客がいらして、祈念されていました。

後ろ向きの御神体

橘樹神社の本殿裏側

実は公式に神社で発行しているリーフレットには記載がないのですが、ネットで面白い記事をみつけました。

戦乱で流れてきた御神体
『新編武蔵風土記稿』には、御神体について詳しく記述されている。
佛向村(現・保土ケ谷区仏向町)にあった「内宝寺」が戦乱によって廃寺。
「内宝寺」の寺宝が帷子川に流れていたのを、当地の百姓3人が拾い上げ、当社の御神体として祀ったと記されている。
この御神体は秘物につき後ろ向きに置かれていたと云う。

後ろ向きの天王様の伝説
昭和初期の『神奈川県神社写真帖』によると、後ろ向きに置かれた御神体から「後ろ向きの天王様」とも称されていたと云う。
御神体の正面に向かえば不思議と御神像から光にさして拝む事ができず、それならばと秘物にして後ろ向きの安置としたと云う伝説が残る。

橘樹神社 / 神奈川県横浜市』御朱印・神社メモ 様より引用

参拝の前にこちらの記事を読ませていただいたので、現地でも後ろ側にまわりこんでみました。
石畳の道がぐるっと本殿を囲うように敷いてあり、裏側も明るい感じです。

別のサイトだったかな…昔はこの『後ろ向きの秘物』のため、こちらの裏側から参拝する人も多かった…というお話も。

神社によっては、本殿の真裏で不思議な感覚を感じるケースも多いと聞きます。

私は、奥に安置されている御神体のエネルギーが球状に広がっているとしたら、背後の方がエネルギーに近くなるからかな?という仮説を立てているのですが…
うーん。仏様だとエネルギーは前方に照射されるという説も有りますし、謎ですね。

背後に回るとそばに神田不動尊もありますので、良かったら裏手チャレンジしてみてください(*^^*)

橘樹神社の御朱印

橘樹神社の御朱印

御朱印も扱っています。
初穂料は300円です。

書置きでも、直接書くのも大丈夫とのことでした(*^^*)

【開運】御朱印はお札と同等です!敬意を持って寺社を巡り、御朱印を集めよう!

神田不動尊

橘樹神社境内の神田不動尊

神田不動尊

塔の右側に当初の在銘に「文化八年」と残ってはいるが
新たに再建塔複、昭和十年八月
吉日神田不動尊ときざまれている

立て看板より引用

御由緒などは書いていないですが、神田…神田不動尊と言えば神田の出世不動尊というお不動様があるようです。

こちらは『程ヶ谷宿』として、古く東海道の4番目の宿場にあたる場所でした。

江戸からの情報も多く流れてきたでしょう。
文化八年(1811年)江戸時代末期。
神田不動尊の高名を聞き、勧請したのでしょうか…

参拝時、太陽の位置が良い感じで後光がさしていました(*^^*)

橘樹神社の庚申塔

橘樹神社境内の庚申塔

庚申塔 左側 明治元年 ※二百六十年前
庚申塔(青面金剛) 後側 寛文九年 ※三百五十年前
庚申塔 右側 天和三年 ※三百四十年前

(略)

青面金剛は必ず炎髪で作られるものであるが、この像は円い髪である。
円髪、後頭部の光輪、太く短い棒などは同じ時代に京都土産として各地に持ち帰られた大津絵の影響を示すもので他に類例を見ない。

青面金剛は江戸時代の代表的な像である。

立て看板より引用

確かに円い髪です。

大津絵…最近読んだ庚申塔の本にも載っていました。

お土産として縁起の良い神様や仏様の絵を持ち帰ることが定番だったそうで、やはり江戸に近い東海道の宿場、そういった流行りの影響を受けてるのかもしれませんね!

神明社

橘樹神社境内の神明社

神明社再建に誌す

祭神 天照大神 国常立大神 稲荷大神 猿田彦大神

當神明社は、その縁由緒ならずと雖も峰岡町壱丁目六拾番地(俗称お伊勢山)の地を旧地とす。
該地より土師瓮の出土せるあり。
又 旧幕府時代當社除地弐反三畝十歩と録せる文書を存す。
新編武蔵風土記稿によれば、當時、牛頭天王社(現橘樹神社)と並び存して、前に鳥居を立てるを知る。(略)

看板より引用

昔から祀られていた神明社が空襲にあい、それを再建したということのようです。

土師瓮…はじ、かめ?焼き物が出土しているということは、ずっと遠い昔から聖地だったのかな。

現地の看板には「天照大神 国常立大神 稲荷大神 猿田彦大神」の4柱が書かれていましたが、頂いたリーフレットには「阿夜訶志古泥神」も追記されています。

現在は橘樹神社の境内にありますが、独立した神様なのかな。

橘樹神社でのスピリチュアルサイン

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風がある快晴の気持ちの良い日でした。
境内に足を踏み入れた途端にザーッと風が吹いて、葉っぱがパラパラと落ちています。

Instagramにあげた動画は、一陣の風が去った後であまり舞ってる葉っぱが映せていないのですが、わかりやすい「降ってくる祝福」のサインで嬉しくなりました。

実はこの日、帰りにおみくじを引いたのですが…その内容に感動。

天地の中に生えたる草木まで、神のすがたと大切に見よ

万物の中に神様は居らせられる。
天から降り注ぐ日射しに、雨に、雪に。
道端の草にも、岩にも、川にも。
森羅万象を司る諸々の神々様に祈りを捧げ、常に謙虚な気持ちで自然と向き合えば、生かされていることへの感謝の念が自ずと芽生え、そして神々様は豊かな稔りを約束してくださる。

風と木々と、降り注ぐもの。
最初に感じた感覚を肯定していただいた内容です。大吉。

境内を散策している間にも葉っぱは降り注ぎ続けていました。

途中で降ってきた葉っぱが思いっきり頭に挿さったりもしていて、

ちゃんと汲み取っているな?
「降るもの」だぞ?大丈夫か?
一応わかりやすく頭にも挿しとくか…

みたいな空気を感じました。
神様大丈夫です。嬉しいです。笑

頭に挿さった時は虫かと思ってびっくりしました(^^;)

【神社仏閣の歓迎サイン】参拝した時に天から降ってくる祝福と歓迎サインの考察。どんなものが降ってくる?

橘樹神社へのアクセスと駐車場

橘樹神社の駐車場

橘樹神社は裏手に駐車場があります。

とはいえ、まわりは密な商店街で車で入るのは大変そう…

なにより、相鉄線の『天王町』駅から徒歩で5分程度です。
横浜から天王町までも5分。
電車の方が楽だと思います。

橘樹神社は『天王町』駅の改札を北方面に出て、まっすぐ進んだところにあります。

まとめに

橘樹神社3

相鉄線天王町駅の近くにある『橘樹神社』は、鎌倉時代から続く歴史のある神社。

今回ご縁を頂いて参拝できて良かったです!
実は、この日どこかしらの神社仏閣に参拝に行こうとは決めていたものの、最寄り駅で電車に乗るまで行先は決まっておらず…
地図アプリの吉方位の範囲を眺めながら、インスピレーションで選んで参拝しました。

とても良い参拝になったので、呼んでいただいたのかもしれません。

近くの立ち寄りの際は、ぜひご参拝ください!!

都道府県別の神社仏閣まとめ 御朱印/御神塩/御神水(お水取り)/御神土(お土取り)

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