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最近は電子決済ができるお店が増えて、現金を使う機会が減りました。
人から人へと、時代を越えて流通しているお金は、なんとなく「汚れ」ている印象を持つ人が少なくありません。
実際に、経年劣化のサビ、手垢などで物理的な汚れはありますよね。
また、金銭に感じる「汚れ」→「穢れ」は思念的なものもあると思います。
お金にケガレを感じてしまう理由などを、今回は考察していきます!!
硬貨に念が宿るという考え
物理的な汚れとは別にお金に感じる、思念的な汚れについて。
まず大きな要因としては「お金」を取り巻く「欲望」の連鎖を、本能的に忌避していることが考えられます。
善良な一般市民もお金は大好きですが、悪い人もお金持ちであれ貧乏人であれ、大抵お金は大好きです。
世の中の犯罪は多々あり、金銭目的が動機になることも多い。
怨恨が動機の犯罪が、飲酒などを引き金に激昂し突発的に起こりやすいのに対し、困窮などを理由にした金銭目的の場合は、計画的、習慣的(万引きなど)に行われます。
お金に人を狂わす、マイナス面の磁力があることは一部否定できません。
また、硬貨は金属で出来ています。
金属という素材には磁性があることを知る人は、無意識下で「汚れ」「汚れた思念」を吸い寄せているイメージを持っているのではないでしょうか。
金銭にまつわる思念の動きと、素材の特性が、「念が宿る」ことに繋がっているのではないかと推察いたします。
お金を落とすと厄払いになる
財布から現金を出すときに、チャリーン!と落としてしまって慌てたことはありませんか?
私は割とあります('ω')笑
でもこれ、「お金を落とす」のは厄払いの意味もあるんです。
✦落ちた時のコインが生む衝撃波
✦落ちた時の硬質な金属音
これらが「厄祓い」の性質を持つからです。
並んでいるレジでお金を落としてしまうと、焦ってしまうものですが、頭の片隅で「何か小さな厄が落ちたな!」とポジティブに捉えられると良いですね!
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硬貨とお賽銭
お賽銭のマナーとしてあまり知られていないのが、『お賽銭はそっと入れる』ということ。
初詣くらいしか神社に行かないという方も多いですが…
初詣は場所によって大変な人混み、大変な長蛇の列になってしまうので、お賽銭箱に近づくことができず「少し遠くから投げ入れる」という行動が発生しがち。
実はアレ、神社参拝の作法としてはダメなやつなんです…。
事情が事情なのでお正月は、神社の神様や眷属も怒らないと思いますが、結構人が少ない時間の参拝でも、ポンと放り込む方が多いんですよね。
これは悪気がないというか、そういうものだと思ってるんだろうなぁと…
理由として、お金が厄を『祓う』ということを、無意識下で認識しているからではないでしょうか。
豆を撒く。
打ち水をする。
大幣でバサバサ祓う。
お金は通常「支払う」ものなので、「はらう」にかかった言霊もあります。
お賽銭はお札でも構いませんが、硬貨が個人的には好きです。
物質として紙よりも金属の方がしっかり思念が乗りやすい。気がする。
私は普段電子マネーやクレジット支払いがほとんどなのですが、お賽銭は硬貨で納めたい。
もし未来で現金制度がなくなってしまっても…
専用コインに交換してお賽銭箱に入れる形を残して欲しいなあと思うこの頃です。
あ、ガッツリ奉納したいんだ!という場合もありますよね。
お賽銭は「気持ち」なので、その場合は千円札、五千円札、一万円札をバーンと納めるのももちろん有りです。
金額で神様からの何かが変わるわけではないのですが、気持ちは伝わると思います。
その場合はお賽銭箱も良いですが、私ならご祈祷の初穂料に上乗せするかな。笑
私は鎌倉の銭洗弁天様で定期的に浄銭をしているのですが、物理的に磨いてから持っていっています。
そのあとで銭洗弁天様の水で清める。
少しだけ手元に残してあとは世に放つ(普通に使う)!
勝手にちょっと良いことした気分になってます。笑
厄がリセットされたピカピカのお金です!
いつか皆様の元にも届くかも?
【神社】銭洗弁財天 宇賀福神社<鎌倉の銭洗い弁天><金運アップ><龍神水おみくじ>
悪い物を硬貨に「移す」呪いについて
『しぐさの民俗学/常光徹』という本を読んでいて、
長野県諏訪地方では、風邪を辻に捨てるため次のようなことが行われていた。
「はやり風邪をひいた者が寝ている時に、身内の者が紙に『風邪の大安売り』と書き、この紙で五厘か一銭を包み、これで病人の頭をさすりながら『風邪の神様俺家では御馳走ができないから御馳走のある家へ行っておくれ』という。それから銭の包みを辻または人通りの多い道に捨てて後を振り返らないで帰ってくる。もし此の紙を拾ったら倍にして返さないと大風邪をひく」(中略)
厄と一緒に捨てるものとしてお金が良く使われるのは、捨てた後、高い確率で拾われる(再利用できる)という貨幣の魅力を認めているからで、それが、厄やケガレを吸引するお金の呪的な力を保証している。
『しぐさの民俗学/常光徹』より引用
という描写がありました。
当時の価値で、だいたい現代の100円かそれよりちょっと安いかくらいでしょうか。
ここでも、病という「厄」を、硬貨に移しています。
硬貨を触媒にした呪術(おまじない)ですが、倍払ったら拾った人も厄を逃れられるという設定は面白いですね。
ご馳走ができない…歓迎しない、疫病神にとって居心地良くないですよ〜と、病を神格化して対処してるわけです。
世の中で渡し渡され巡っていく。
人が引きつけられる。
スピリチュアルは不可視の領域の心理作用が影響していることが多いのですが、硬貨にまつわる厄について、興味深い共通認識だなと思います。
まとめに
いかがでしたでしょうか?
私は仕事でお金を触った後、マメにウェットティッシュで手を拭くようにしています。
現在は新型コロナウイルスの流行で注意しているということもあるのですが、以前からの習慣です。
物理的な「汚れ」対策なんですけども、どこかで「お金は汚い」という印象を持ってしまってるんですよね。
ですが、「お金を忌避する」というのは、理由が何であれ金運が逃げてしまうんです…。
そうした「金運にまつわる悪い想念」は積もりに積もって、自分が持つ金脈を小さくしてしまうのだとか。
イメージとしては金脈という金運の流れの動脈硬化ですね。硬貨だけに。…すいません。
金脈が細くなれば、当然お金が流れ込んできにくくなり、金運が下がる。
逆に、金脈がサラサラ血液みたいにガンガンお金を通すと、自分にも金運が流れ込んで豊かになります。
銭洗い弁天様の『浄銭』は、そういった金運を詰まらせる「念の垢」を除去してくれるのだそうです。
(※桜井識子さんのお話を参考にしています『神様が教えてくれた金運のはなし 直接きいてわかった開運あれこれ』など)
最近金運が上がらないな~と感じているのでしたら、この「お金の汚れ」について見直してみるのはいかがでしょう?