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山口県山口市に鎮座する鰐鳴八幡宮(わになきはちまんぐう)。
名前を初めて目にしたとき、私が気になったのは「鰐鳴」という少し変わった社名でした。
由緒によると、宇佐八幡宮から分御霊を迎えた際、一頭の「鰐」が椹野川を遡り、別れを惜しんで鳴いたことが、この名前の由来とされています。
しかし、その「鰐」は本当に現在のワニのことだったのでしょうか。
今回は実際に鰐鳴八幡宮を参拝し、現地の雰囲気や伝承、そして歴史や生態なども踏まえながら、この不思議な伝承について考えてみました。
なお、本記事は伝承や資料をもとにした一つの考察であり、特定の説を断定するものではありません。
鰐鳴八幡宮とは

宇佐八幡宮から勧請された神社
鰐鳴八幡宮(わになきはちまんぐう)は、山口県山口市黒川に鎮座する八幡宮です。
創建は平安時代の天安2年(858年)と伝えられ、現在も地域の鎮守として大切にされています。
御祭神は、八幡神として広く信仰される応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三柱。
全国の多くの八幡宮と同じ神々がお祀りされています。
この神社は、大分県の宇佐神宮から御祭神の分御霊(わけみたま)を勧請して創建されたと伝えられています。
八幡神を迎えるために船で椹野川(ふしのがわ)を遡ったその道中、ある出来事が起こりました。
それが、神社の名前にもなった「鰐が鳴いた」という伝承です。
「鰐が鳴いた」という名前の由来
鰐鳴八幡宮の社名は、創建時の伝承に由来するとされています。
宇佐神宮から御祭神の分御霊を船で迎え、椹野川を遡っていたところ、一頭の「鰐」が船についてきました。
やがて現在の山口駅付近にある鰐石(わにいし)まで来ると、その鰐はそれ以上進まず、一声鳴いて引き返した…と伝えられています。
人々はその出来事を印象深く感じ、この地を「鰐鳴」と呼ぶようになり、神社の名前にもなったそうです。
ここまで読むと、「なるほど、そんな伝承があるのか」と思います。
しかし、私はここで一つ気になることがありました。
その「鰐」とは、本当に私たちが思い浮かべるワニのことなのでしょうか?
現在の日本にはもちろん、平安時代にも野生のワニが生息していたとは考えられず、山口県までワニが船を追ってきたとは考えにくいようにも思えます。
もちろん、伝承なので「そういうもの」と受け取ることもできます。
けれど、「鰐が鳴いた」という印象的な一文だけが今も語り継がれていることを考えると、そこには何か実際の出来事があったのではないか…そんなことを考えたくなりました。
実際に歩いてみた鰐鳴八幡宮
桜並木の参道

鰐鳴八幡宮へ向かう参道は、桜並木になっていました。
私が訪れたのは冬。
枝だけになった木々が並び、辺りはとても静かです。
それでも、この道を歩きながら「春になれば桜のトンネルになるんだろうな」と想像できる、どこか温かみのある参道でした。
花のない季節でも十分に美しい参道だったので、満開の頃はきっと見事な景色になるのでしょう。
人の気配がなく、音だけが残る境内

私が参拝したのは昼過ぎでしたが、境内には他の参拝者の姿はありませんでした。
そのため、風が木々を揺らす音や葉擦れ、小鳥の声、自分が砂利を踏みしめる足音まで、普段なら意識しないような音が自然と耳に入ってきます。
境内には大きな池もあり、水面は穏やかでした。静寂というより、「自然の音が感じ取れる場所」。そんな印象を受けた神社でした。
本殿裏から続く、小さな散策路

本殿の裏手には、小川沿いを少し歩ける散策路があります。
距離は長くありませんが、木漏れ日の中を歩いていると、ちょっとした森林浴気分。
水の流れる音も心地よく、思わず深呼吸したくなる場所でした。
しかも小川が流れているので、九星気学でいう七赤金星の吉作用を感じられそうな雰囲気もあります。
やがて道は行き止まりになりますが、それも「神社の奥まで来た」という特別感があって個人的には好きでした。
派手な見どころではありませんが、静かな自然の中で神秘的な空気を味わえる、お気に入りの場所です。
「鰐」は本当にワニだったのだろうか

古代の「鰐」は現在のワニとは限らない
「鰐が鳴いた」という伝承を読んだとき、最初は「え、本当にワニ?」と思いました。
現在の日本には野生のワニは生息しておらず、山口県までワニが船を追ってきたとは考えにくいからです。
ところが調べてみると、古代の「鰐(わに)」という言葉は、現在のワニだけを指していたとは限らないようです。
例えば『古事記』に登場する因幡の白兎では、「鰐」はサメを指しているという説が広く知られています。
つまり、昔の人は海や川にすむ大きな生き物を、まとめて「鰐」と呼んでいた可能性があるのです。
そう考えると、鰐鳴八幡宮の伝承に登場する「鰐」も、現在のワニとは別の生き物だったのかもしれません。
では、一体何だったのでしょうか。
「鳴く」という条件から考える
では、鰐鳴八幡宮の伝承に登場する「鰐」は、一体どんな生き物だったのでしょうか。
伝承には「ついてきた」だけではなく、「鳴いた」という行動がピックアップされ神社の名前にもなりました。
だからこそ、この伝承を考える上では「鳴く生き物」であることが重要な手がかりになるのではないでしょうか。
古代の「鰐」が海の大型生物を指していたとすれば、候補はいくつか考えられます。
まず思い浮かぶのがサメです。
『因幡の白兎』でも「鰐=サメ」と解釈されることが多く、有力な候補と言えるでしょう。
しかし、サメは鳴きません。
今回の伝承で印象的なのは、「ついてきた」ことよりも「鳴いた」ことです。
この条件を考えると、サメは少し違うように感じました。
次に思い浮かんだのがイルカです。
イルカは鳴き声を出しますし、人や船に興味を示すことでも知られています。
ただ、椹野川をかなり遡り、その出来事が長く伝承として残るほど印象的だったかというと、少し決め手に欠ける印象です。
そこで私が気になったのが、ニホンアシカでした。
瀬戸内海にも生息していた海獣で、鳴き声を上げ、船に近づくこともある生き物です。
「鳴いた」という条件を考えると、これまで挙げた候補の中では最もしっくりくるように思えました。
鰐=ニホンアシカという仮説

当時の瀬戸内海にはニホンアシカがいた
ニホンアシカは20世紀に絶滅してしまいましたが、かつては日本各地の沿岸に生息していました。
山口県沿岸もその生息域に含まれ、鰐鳴八幡宮が創建された平安時代であれば、この地域で見られても不思議ではありません。
「鳴く」「大型の海獣」「山口沿岸に実在した」という条件を重ねていくと、私は伝承の「鰐」はニホンアシカだった可能性が高いのではないかと考えています。
もちろん決定的な証拠はありません。
それでも、伝承の内容と当時の自然環境を照らし合わせると、この説は十分に成り立つように思えるのです。
船を追う海獣だった可能性
アシカは、船や人に興味を示し、しばらく後をついて泳ぐことがあるとされています。
もし平安時代、宇佐神宮から分御霊を迎えた船の後ろを、一頭のニホンアシカが好奇心から追ってきたとしたら……。
人々は「まだついてきている」と、その姿を微笑ましく眺めていたのかもしれません。
やがて鰐石付近まで来ると、それ以上は船を追わず、一声鳴いて海へ引き返す。
その鳴き声は、まるで神様との別れを惜しんでいるようにも聞こえ、人々の心に深く残ったのではないでしょうか。
神様をお迎えするという特別な日に起きた出来事だからこそ、「あの日、鰐が鳴いた」という出来事は人々の記憶に深く刻まれ、やがて神社の名前として語り継がれるようになったのでしょう。
もちろん、これは私の考察に過ぎません。
しかし、現地を歩き、伝承や当時の自然環境、そしてニホンアシカの生態を重ね合わせていくと、私は伝承に登場する「鰐」はニホンアシカだった可能性が高いのではないかと考えています。
まとめ

鰐鳴八幡宮は、大きな観光地ではありません。
静かな境内を歩き、由緒を読み、「鰐が鳴いた」という伝承に思いを巡らせる。そんな時間が流れる神社です。
もちろん、伝承に登場する「鰐」の正体は分かりません。
私は、当時の自然環境やニホンアシカの生態を重ね合わせると、ニホンアシカだった可能性が高いのではないかと考えています。
ですが、それが正解かどうかは誰にも分かりません。
だからこそ、こうした伝承を歴史や自然、生き物の視点から考えてみるのは、とても面白いものです。
皆さんは、「鳴いた鰐」は何の生き物だったと思いますか?
正解は誰にも分かりません。
だからこそ、自分なりの答えを想像してみるのも、伝承の楽しみ方ですね!


