目次
『旧堀田邸』『佐倉市順天堂記念館』『武家屋敷』。
3カ所すべての場所を回れるチケットがあります。
今回の目的としては『旧堀田邸』だけだったのですが、『武家屋敷』も見たいねーなんて言ってたら、2カ所単独で買うのと、3カ所分のまとめチケットで、お値段がほとんど変わらないということでしたので、こちら『順天堂記念館』も行けることとなりました♪
【観光】千葉県佐倉市『旧堀田邸』はドラマやCM、特撮の舞台としても有名な名所!
【観光】千葉県佐倉市 茅葺き屋根の『武家屋敷』で佐倉藩士の生活に思いをはせる…
『佐倉順天堂記念館』とは
江戸時代末期、天保14年(西暦1843年)に蘭医・佐藤泰然が蘭医塾兼外科の診療所として創設されたもの。
天保14年の開業時は、現在地の向かいに開設。
現在の建物は安政6年(西暦1859年)に移転、新設された建物の一部が現存しています。
泰然が開業した時に用いたこの『順天堂』という堂号。
「順天」とは「天堂に従う」すなわち「自然の理に従う」ということを意味しているそうです。
佐藤泰然が江戸から佐倉の地に移住した背景には、当時の佐倉藩藩主の堀田正睦が「天保の改革」で学問・武術を奨励していたこと。また、「西洋堀田」と呼ばれるほどの西洋びいきで、蘭学にも理解があったことがあげられます。
蘭方医学が盛んになったのはドイツ人の蘭医学医師フィリップ・フランツ・シーボルトが来日してからだと言われますが、最初にシーボルトが来日したのが1823年、再来日が1859年です。
実際に蘭医学が広まったのは開国(1854年)以降と言われますので、当時は真新しい学問だったのは間違いありません。
順天堂の塾生は、オランダ語の習得と書き物だけの勉強に偏らず、実践に基づいた診療の技術や知識を学び、優秀な人材を多数輩出したのだそうです。
素晴らしい学び舎だったのですね。
鳥居のような『冠木門』
シンプルな木組みだけの門。
旧堀田邸もこの『冠木門』だったなぁ。
『冠木門』は、屋根を持たない門のことを言うそうです。
『冠木門』と書いて「かぶきもん」と読む。
この門があるだけでさらに時代を感じますよね。かっこいい!
当時の面影が残る院内…
カーテンが怖い!笑
遮光のための重厚で無機質な灰色のカーテン…
当日、そよそよと入り込む風に吹かれて、重たいカーテンがふわりと膨らむのがまた…
私、実は病院に行くのが大の苦手なんですよね…。
自分が病気に罹るのが大嫌いなのであって、『病院』というシチュエーション、ロケーションとしては興奮するんですけども。笑
そんな相反する思いから、ぞぞぞぞっと背中に寒いものを感じつつ、館内の展示品を見る。
フラスコ、古文書、顕微鏡…興味深いです。
蘭医学が日本に入ってきたころ、幕末特有の「和」の中に「洋」が溶け込む佇まいがいい味出してます。
現代の、無機質ここに極まれり!みたいな白くて薬の匂いがしみ込んだような病院とはまた違って、多少の装飾や年代観が…こわいんだよなぁ!いいなぁ。どきどきする。
京極堂シリーズとかアナザーなら死んでた!!
カーテンを開けたらDrコトーくらいの爽やかさになるかなといったところですね。ふふ。
いちばん怖かったのは手術中の絵です。ひえええ。
まとめに
味のある建物でした!
小説の舞台になりそうな雰囲気。
お庭には青い芝が広がっていて、とても爽やかなんですけどね。
胸像が飾ってあって、やっぱり夜に動き出しそうとか思ってしまうのでした。笑