【神社】東京都渋谷区『金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)』<渋谷城跡地><金王丸御影堂>

<神社の基本データ>

御祭神:応神天皇(品陀和気命/ほんだわけのみこと)

ご利益:
「文武の神」「平和の神」「母子の神」「子授・安産・子育ての神」
「福徳開運、厄除、良縁の神」特に「渡航交通安全の神」

御朱印:有

塩:なし

土:なし

水:なし

駐車場:有

住所:〒150-0002  東京都渋谷区渋谷3-5-12

電話番号:03-3407-1811

公式HP:【公式】金王八幡宮 ご祈願 ご参拝 東京都渋谷区

金王八幡宮について

(略)

当八幡宮は、雄徳山八幡(石清水八幡宮)を勧請したことが元別当東福寺の梵鐘に記されています。(月旗を御神体と成して勧請)
社伝記によると渋谷次郎平高重が、父昌俊の遺品を受けに鞍馬寺に行った際、甲冑馬上の八幡像を拝し由縁を尋ねると、弘法大師が宇佐八幡宮に参篭の折「我東国に跡を垂れ、国家の泰平を守らんとて、いまだ由縁来らず、暫く鞍馬寺に納べし」との御神託により鞍馬寺に納められた八幡像で、高重が渋谷に持ち帰り当八幡宮の御神体としたと記されています。
八幡大神は、「文武の神」「平和の神」「母子の神」「子授・安産・子育ての神」として古くから信仰されておりますが、当八幡宮ではこの外に「福徳開運、厄除、良縁の神」特に「渡航交通安全の神」として、御神徳の高い神と崇められています。

金王八幡宮公式HPより引用

品陀和気命(誉田頒命)、応神天皇を御祭神とする八幡宮です。
スクランブル交差点、渋谷ヒカリエなど、大都会の渋谷駅から数分の場所にある『金王八幡宮』です。

全国でも数多い八幡宮ですが、こちらはかつてあった渋谷城の一角で、当時砦に使われていた石が本殿前に置かれています。

由緒

金王八幡宮は、寛治六年(皇紀1752年 西暦1092年)渋谷氏の祖 河崎基家により鎮際され、基家の子家重が鎌倉街道沿いの要所であるこの地に館を構えて居城として以来、渋谷氏の氏神として尊崇されました。

渋谷家重には嫡子がなく当神社に祈願したところ、大神の御神徳により渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)のちの土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)を授かりました。
金王丸の活躍は平治物語・吾妻鏡などにみられる通りであります。
当神社は当初「渋谷八幡宮」と申しておりましたのを、金王丸の名声に因み「金王八幡宮」と称するようになりました。

(略)

金王八幡宮の立て看板より引用

金王丸が生きていた時代は鎌倉時代。
源頼朝に仕え、源頼朝が開いた鎌倉幕府の開幕にも関わる人物とのこと。

【神社】鎌倉の守り神『鶴岡八幡宮』<源頼朝><白旗神社><旗上弁財天社><パワースポット(龍穴)>

金王八幡宮の境内社

玉造稲荷神社

金王八幡宮境内の玉造稲荷神社

玉造稲荷神社

御祭神 宇賀御魂命
祭礼日 二月初午
創建 元禄十六年八月(1703)

由緒
宇賀御魂命は、食物・農耕をはじめ商売繁盛・殖産興業に関する信仰のほか、屋敷神としても多く祀られています。
御本社は京都伏見稲荷大社で、稲荷社は全国に三万社余あるといわれ、最も身近な神社と言えます。

渋谷も明治の頃までは稲作が盛んで、多くの信仰を集めていました。
都会となった現在でも、その信仰は変わる事無く受継がれています。

玉造稲荷神社の立て看板より引用

金王八幡宮の境内に祀られるお稲荷様。
『玉造稲荷神社』の創建については詳細が書いていませんが、あえて屋敷神に言及するところを見るに、元はどちらかの屋敷神様だった時代があるのかもしれません。

というのも、次回の記事で書く予定ですが、道を挟んだ向かいに『豊榮稲荷神社』があり、こちらに道祖神や庚申塔が多数残っていることから、地域の(庶民の?)お稲荷さんはこちらが中心だったのかなと。

現在はどちらのお稲荷様も変わらず参拝者の願いを叶えてらっしゃるのだと思います。

たくさん奉納された幟や、狛狐様にかけられた赤い前掛けが、篤い信仰を物語っているようです(*^^*)

【神社】京都 伏見稲荷大社 <伏見神宝神社><白滝大神><御劔社>他

御嶽神社

金王八幡宮境内の御嶽神社

御嶽神社

御祭神
櫛眞知命(くしまちのみこと)
大己貴命
少名毘古那命
日本武尊

祭礼日 十一月一の酉

由緒
御嶽神社は、開運・商売繁盛の神として、特に客商売を営む人々の信仰を広く集めており、御本社は武州御嶽神社です。
御祭神の日本武尊は、古来より武道の守護神として崇められ、この地が、武門の誉れ高き澁谷氏の居城であったことから、ここに祀られたと考えられます。

また、社前の狛犬一対と西参道の鳥居はかつて実践女子学園の校内にあった香雪神社より大東亜戦争後移築したものです。

御嶽神社の立て看板より引用

くしまちのみこと…

結構神社仏閣を巡っていますが、あまりお名前を聞かない神様です。

調べてみたところ、太占(ふとまに)を司る神さまとのこと。
太占とは、骨を焙り、できた割れ目で占うというもの。

本社である武蔵御嶽神社では今も神事として受け継がれている秘事だとか。すごい。

天児屋命(あめのこやねのみこと)の別名とする説も有るそうで、占いの神様なのは確かですね。

天児屋命は愛知県の砥鹿神社で名前を見たな…
砥鹿神社は、奥宮近くの磐で大己貴命が国見(国の未来を占うこと)をしたという神社。

なにかそういう縁もあるのかもしれませんね!

【神社】三河國一之宮『砥鹿神社』<三河ゑびす社><砥鹿の神砂><御朱印>

金王丸御影堂

金王八幡宮境内の金王丸御影堂

金王丸御影堂(こんのうまるみえいどう)

御祭神 澁谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)
祭礼日 三月最終土曜日 御開帳

由緒
平安末期、澁谷重家夫妻が当八幡宮に授児祈願を続けたところ、八幡神の霊夢により永治元年(1141)八月十五日に金王丸が誕生しました。
金王丸十七歳の時、源義朝に従い保元の乱に出陣。
平治の乱ののち出家し、土佐坊昌俊と称し義朝の御霊を弔いました。

また、頼朝とも親交が深く鎌倉開幕にも尽力。
義経追討の命を受け、文治元年(1185)十月二十三日夜、心ならずも義経の館に討ち入り勇ましい最期を遂げました。

この御影堂には、保元の乱出陣の折、自分の姿を彫刻し母に遺した木像が納められています。
更に金王丸が所持していた「毒蛇長太刀」も当八幡宮に保存されています。

金王丸御影堂の立て看板より引用

保元の乱1156年の時に17歳。平治の乱が1159年で19歳。
平治の乱の時の頼朝が13歳なので、頼朝と歳が近かったんですね。

その後、義朝を弔っていることからも、頼朝に思い入れがあったのかも。

最期を遂げた義経襲撃の命を出したのは頼朝ですが、本殿横に「金王桜(こんのうざくら)」という、一枝に一重と八重の桜が入り混じって咲くという珍しい桜が植えられています。

この桜は、源頼朝が澁谷金王丸をしのんで鎌倉亀ヶ谷の館から移植したものだそうです。

金王八幡宮の御朱印

金王八幡宮の社務所

社務所で御朱印を頂けます!

初穂料は300円。

お守りや絵馬なども扱っていました。
【開運】御朱印はお札と同等です!敬意を持って寺社を巡り、御朱印を集めよう!

金王八幡宮の宝物館

金王八幡宮の宝物館

社務所の右手に宝物館があります!
無料で拝観でき、小さな空間ですが、鎌倉時代作の御神輿や、大江山鬼退治の描かれた大きな奉納絵馬などを見ることができます。

金王八幡宮宝物殿の獅子頭

私が気になったのはこちら。
『獅子頭』

さらっと注釈で、「古く雨乞いに出せしという」とあります。

似た獅子頭を神奈川県秦野市の出雲大社相模分祠で見たなぁと…

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それがこちらです。

雨乞いの意味があるんですね😃

【神社】出雲大社 相模分祠<関東のいづもさん><良縁結びのだいこく様><ヤギのももちゃん>

金王八幡宮でのスピリチュアルサイン

金王八幡宮のカラス

本殿でご挨拶している間、カラスがすっごい近くにいまして。笑

かなり近づいても全然逃げない…
先に参拝した境内の御嶽神社のお社にいたカラスさんです。

本殿前に移動したらすいーっと飛んできて横にとまり、祝詞を唱え終え、移動するまでそこにいました。

神社の境内など、神域で見かけるカラスは神使。
歓迎サインです(*^^*)

【神社仏閣の歓迎サイン】聖域で出会うカラスは神使!見かけたら幸運のサインですよ♪

金王八幡宮へのアクセスと駐車場

金王八幡宮の駐車場

JR・東京メトロ・東急東横線・田園都市線・京王井の頭線
「渋谷駅」出口C1より徒歩5分(渋谷警察署裏)

金王八幡宮公式HPより引用

渋谷駅から警察署の方へ向かって歩いて徒歩5分。

私は別のラーメン屋に寄ってから向かったのでルートが違うのですが…笑
結構近いと思います。

方向さえわかれば!!

地図アプリで現在地を確認しながら向かうのが良いかと(^^;)

駐車場も有るようです。
とはいえ、ひとつ道を出れば交通量も多いですし、公共交通機関で行くことをお勧めします。

まとめに

大都会渋谷の、昔の記憶を持っている『金王八幡宮』。
よく外国の方が、日本は先進的な都会の部分と、長く続く伝統が融合しているのが良いと評価してくださいます。

天まで届きそうなビル群から5分で、鎌倉時代からある神社にも参拝できるのは、確かにすごいことかも。

都道府県別の神社仏閣まとめ 御朱印/御神塩/御神水(お水取り)/御神土(お土取り)

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